当記事は小川洋子著『密やかな結晶』の書評です。
今回ご紹介する小説は「物とそれにまつわる記憶」がどんどん消滅していくという、ちょっぴり怖いお話です。
しかしホラーではなく、静かにひとつずつ記憶をなくしていく。だけど日常生活は滞りなく進んでいく……という現代社会の風刺のような作品だと感じました。
閉ざされた島で起こる「消滅」という独特な世界観に、日常生活を忘れ、小説の世界にどっぷり浸かってしまうこと間違いなし。
眠れない夜にうす暗い部屋でひっそりと読みたい、そんな小説です。
あなたにとっての、良き一冊となりますように。
『密やかな結晶』あらすじ
その島では、記憶が少しづつ消滅していく。鳥、フェリー、香水、そして左足。何が消滅しても、島の人々は適応し、淡々と事実を受け入れていく。小説を書くことを生業とするわたしも、例外ではなかった。ある日、島から小説が消えるまでは……。刊行から25年以上経った今もなお世界で評価され続ける、不朽の名作。
『密やかな結晶』小川洋子著 講談社文庫出版 (2020/12/15)より引用
昨日まで存在していたものが、ある日突然「消滅」していく。
そして「消滅」した後はその存在そのものも、ゆっくり記憶からなくなっていく。初めからなかったみたいに。でも、中には「消滅後」も記憶がなくならない人もいて……。
目に見えないものである「記憶」という部分にスポットライトをあてた小説。
あらすじを読むと一見ミステリーのように感じますが、よく考えるとこれ、私たちの日常そのものではないでしょうか?
時の流れ、環境の変化と共に失ったものをやり過ごして、「今の環境」に順応していく……これは果たして、良いことなのか悪いことなのか?
とても考えさせられる1冊でした。ぜひ手にとってみてください。
『密やかな結晶』感想・レビュー
島にあるものが消えてしまう「消滅」を、人々が当たり前のように受け入れていることが怖いなと感じました。でも、これって私たちの日常でもあるんですよね。
失ったものを嘆いていても仕方ない。という割り切りと、失わないための努力。
どちらが良いとは一概には言えませんし、作者の小川さんも答えを出そうとはしていません。読み手によって、感じ方も人それぞれだと思います。
3つのポイントに整理して、本の感想をお伝えします。
POINT1. 「消滅」は現代風刺なのか
朝起きると、昨日まで存在していたものが消える「消滅」という現象。「消滅」したものは処分しなくてはならず、処分せずに隠していることがバレると「秘密警察」に連行されてしまう。
客観的に見るととてもこわい異常なことなのに、この島で暮らす人々は当たり前に受け入れ、抵抗する気力を失ってしまっています。
ですが、自身の胸に手を当てて考えてみると、自分の暮らしも客観的に見ると似たような部分があるのだろうなと思い、ゾッとしてしまいました。
自分の生活にまつわるものや、職業自体が消滅してしまっても、何日か戸惑うだけでまたすぐに別の職業に就いて暮らしていく島の人々の様子は、読み切った後に自分自身の暮らしを根幹から揺るがすような不安感と共に、見つめ直すきっかけも与えてくれました。
POINT2. 時代背景を感じない、独特な世界観
読み終わってから奥付を見てびっくりしたのですが、この小説は25年以上前に出版された小説だそうです。
そんなに前に描かれたのに、違和感なく読めるということにも驚きでしたし、いわゆる「文明の力」をあえて登場させないことで、閉塞感を強調したのでは?という狙いも感じられました。
私は、小川洋子さんの独特な世界観が好きで他の作品も愛読しているのですが、どの作品にも共通しているのは「閉塞感と静けさ」だと思っています。
あえてせまい世界を好み、没入していくタイプの主人公が多く、読んでいくうちに自分自身もその世界観にどっぷり浸っている感覚がクセになるんですよね。
読み切った後に感じる、なんとも言えない孤独感にあなたもハマること間違いなしです。
POINT3. 物語の主人公も小説家
物語の主人公はなんと小説家。本編と、主人公が描いた小説が交互に進んでいくのですが、内容がリンクしていて、どちらの小説の結末にも背筋がスッと冷たくなるような、不安感が漂います。
本編の主人公も、主人公が描いた小説の主人公も(ややこしいですね……)自分が自由を奪われているということにハッキリとは気づいていないのですが、どちらの小説にも閉塞感が漂っています。
作者の小川洋子さんは、抗えない時代の流れに感じていた不安な気持ちを、物語に重ね合わせていたのかなと感じました。
自分だったらどうするか?考えさせられる結末です。
『密やかな結晶』感想・まとめ
忘れていくことは悪いことなのか?自分の人生の在り方、考え方について見つめ直すきっかけをくれる、そんな1冊です。
たまには日常生活を忘れ、小説の世界にどっぷり浸かりたい……そんな気分の時におすすめです。
眠れない夜に、そっと本を開いてみてください。